人間じゃないことを知りながら、 人間として生きれることのワクワク感!

前回の記事「人間として生きる人生は楽しい?」からの続きについて

本日は書きたいと思います

 

“自分が人間じゃない”と知った上で生きる人生・他者との出会いと

“自分が人間である”と完璧に思い込んで生きる人生には、どのような違いがあるのでしょう?

 

まず、私はnTechと出会うまでは、間違いなく後者でした

自分が人間であると完璧に思い込んで生きていましたし

そもそも、そこに疑うことすらしていませんでした

自分が人間じゃないという概念自体がないので、無理もありません

 

自分が人間であることが当たり前すぎて、

今までの500万年間の人類歴史上、誰も疑ってこなかった世界ですし

人類全体で、自分が人間であり、そして生きている

と、共通に思い込んでいるので、そこを疑いようがなかったのです

 

しかし、nTechと出会って私は人間だと思い込んでいた自分が

いかに狭い範囲だったのか、一部分の一部分にすぎなかったのか・・・・

ということを知りました

 

真実の自分は、イメージも想像も絶するほどの、心の世界でした

その世界は、境界線のない無限の世界で

イメージ不可能な、認識不可能な、感じることも不可能な世界

 

それは、尊厳そのものの世界であり

全ての存在を生み出す源泉的な動きそのものでした

 

それは、自分が人間じゃないことを明確に知ることができた上で

敢えて、人間として人間の宇宙を自ら立ち上げ、

人間として生きることを主体性を持って、

今ここスッキリ、ワクワクしながら楽しめること

 

それができるのが、スクリーンの外、観点の外に出ることができた

新人類の生き方なのです

 

そこを知らずに生きることは

自分が自分の可能性を自ら狭めてしまうことであり

無限の可能性、人間の最高の機能を発揮させることもないまま死んで行く

とっても、残念な生き方です

 

自分の脳の認識に観点が固定されてしまい

人間共通の部分観からしか、物事を認識できない為

いつも繰り返してしまうのが

できない、足りない、わからない・・・・

その自分を繰り返し、自己否定を蓄積していくのです

足りない自分を埋めるために一生懸命に頑張るのです

条件によって、上がったり下がったりを繰り返す

いつも不安定な心の状態で、ストレス・プレッシャーが

終わりなく続く人生・・・

 

または、部分観から出発して

自分と他人との違いを比較しては、ジャッジを繰り返す

相手を責めるか、自分を責めるかしかできない関係性

期待しては裏切られ、誤解したり、誤解されたり

 

人間関係は苦しいもので、妥協したり、我慢したりするしかない

という、諦めの感情を蓄積してしまうのです

 

もう、こんな人間の四苦八苦の生き方からは

卒業する時ではないでしょうか

 

本来、人間は素晴らしい存在であり

人間が唯一変化できることは

自分が人間じゃないことを知ること

つまり、自分と自分の宇宙が実在しないことを

明確に知ることでしか、本当の変化は作られないのです

 

月に行くにも道具がなければ行けませんが、

ロケットという道具さえあれば、不可能と思える世界も可能になるように

人間の変化にも技術・道具が必要です

 

人間が唯一できる変化の道を案内できる技術が、新認識技術nTechなのです

2019年、あなたも希望の扉を開いてみませんか?

少しでもご興味を持っていただいた方はコメントお待ちしています!

 

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