人間として生きる人生は楽しい?

人間として生きることが楽しくてたまらない!そんな人がこの世にいるとしたら、

それは、麻痺させているからか

自分の根底の声を無視しているからか

そう思い込ませているか

相対比較をして、他の人よりは楽しんでいると思っているからでしょう

 

私は、人間として生きることがとても楽しいと思える人生ではありませんでした

幼稚園時代から、大好きな先生ともお別れしなければいけない時は来るし

なんとなく、大人の先生たちの関係性の中で問題がありそうなことも

子供ながらに感んじていたのを覚えています

 

今、思えばその頃から人間って大変だな、大人って大変だな〜と

無意識のクラウドにマイナスデータが蓄積されていたのだと思います

 

だって、子供から見て、大人が生きるのが楽しくて楽しくてたまらない

早く大人になりたい!そう思えるような、モデルも身近にいなかったので

 

なんとなく、人生は大変で、生きるのは楽しいより辛いことが多くて

でも、生きることをやめることもできないから、仕方なく我慢したり

妥協しながら生きるしかない

 

そんな印象の方が強かったように思います

 

小学校、中学校、高校と自分が歳を重ねるにつれて

悩みも多くなっていきました

小学校にはなかった悩みが中学生になると登場してきて

さらに、中学時代にはなかった悩みが高校になると出てくる

 

その先も、終わりなく出てくる悩み・限界・問題

その悩み・限界・問題を解決するのに追われて

人生の砂時計がどんどん消耗されていく

 

誰かが私を救ってくれるのではないか?

何かが私を救ってくれるのではないか?

神を信じれば良いのか?

何か、明確なものがあるわけではないけれど

何かを信じていれば自分の人生が良くなるような気もしていたんですね

 

明確な根拠もないけれど、何かを信じてたいという

そんな微かな願望のようなものを抱きながら

生きてきた日々でした

 

パートナーができれば幸せになれるんじゃないかという

期待を持っていたこともありました

そんな期待を持っては、失望の繰り返し・・・

パートナーができれば幸せになれる、それは大きな思い込みでした

 

自分が人間だと完璧に思い込んだ者同士の出会いは

出会っても、出会っていない

そんな状態なのです(本人たちは出会っているつもりです)

 

しかし、真実からみたら出会えてないのです

なぜなら、自分が人間じゃないことを知らない状態というのは

VRメガネをかけている状態で生きているということだからです

 

それは、自分が何者なのかを知らない状態であり

VRメガネを通して見えるバーチャル世界=スクリーンの中で

自分と相手を分離させ、存在させて出会っていると思い込んでいるに過ぎないので

出会えば出会うほど、自分の思い込みの世界にハマっていくのです

 

それでは、相手そのものとは出会えないですし、理解することもできません

どんなに近距離で出会っていたとしても

心の距離では138億年の隔たりがあるのです

 

自分が人間じゃないと知った上で生きる人生や、他者との出会いと

自分が人間であると完璧に思い込んで生きる人生には、どのような違いがあるのでしょう?

 

自分が人間じゃないことを知りながら、 人間として生きれることのワクワク感についても含めて

また、別の記事に投稿したいと思います。

 

本日も読んでくださって、ありがとうございました。

 

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